--'--.--.--
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2007'01.31.Wed
16.08
先週末はすごくいい週末だった。やっぱリラックスって重要 土曜日は、シーフードレストランに行ってすごく安くておいしいディナーを食べた甲殻類?セットみたいなやつを頼んだら、出てくる出てくる。貝、エビ、カニのオンパレードカキはずっと嫌いな食べ物のうちの一つだったけど、最近克服私も、「あののど越しと塩っ辛いジューシーさがたまらない」と言えるようになりました。日曜は、ちょっと郊外へ出て湖や公園を散歩しました。空気のきれいさ、冷たさ・・久しぶりに自然を感じて肩の力がすっと抜けた気がしました。

また、厚生大臣がやってくれましたね。女性の「出産装置」発言。世界でも話題になっちゃってますよ。私もこの発言についてBBCニュースで知ったくらいだからね。
まあそりゃこんな不用意で時代錯誤な発言を国の大臣がしちゃうくらいだからね・・・。

私は大臣の発言そのものよりも、そういう発言が容易になされてしまう背景に問題があると思う。
「出産は女性の役割」という概念が覆されないと、こういう発言はいつまでたっても根絶されないだろう。
もちろん、肉体的に出産をするのは女性なんだけども、
「出産」という概念には男性も、政府も、社会も、責任を負うべきだと思う。
出生率が上がればそれで良い、という視点では解決しない。何度も言ってるように、現代は数字で測るには限界がありすぎると思う。特に、格差社会といわれるここ最近、出産は階級、キャリア、教育、などいろいろな側面と結びついていると思う。どのような女性が出産を「選び」、どのような女性が出産を「拒む」のか、そしてそれはなぜか、という視点も重要だろう。
欧米では出産は「権利」である。英語では"reproductive right"といわれる。それはフェミニズムが勝ち取った権利であるともいえる。

現代の女性はなぜ子どもを産まなくなったのかな?
①選択の自由
現代社会の3大柱の1つだろう。出産はライフスタイルの「選択」と捉えられるようになり、「自己実現、個の尊重」と天秤にかけられるようになった。

最近よく、自由と権利ばかりが一人歩きしているように思う。選択の自由が叫ばれる社会で、チョイスがないと感じることが多いのはなぜなんだろう。

②DNAが欲しいと思えるような男がなかなかいない。

②はちょっと過激発言かもしれんけど、ある意味画期的な発想じゃないかなあ?出産が選択の自由になった今、誰の子を産むか・・も選択の自由。選ばれるほどの価値のDNAがこの世にどれだけ存在するでしょうか。

そう考えると、フェミニストの多くはなぜ結婚しない/できないのか・・という問いの答えにもつながるような・・。
①フェミニストのイメージ。
男性にとってあまり魅力的なイメージではないでしょうな。
パワフル、攻撃的、男嫌い、というような。。ビジュアル的イメージもそう良いものではないでしょうな。

②「結婚」=家父長組織
という構造への抵抗。でしょうな。

③フェミニストの目にかなう男が少ない。
これ、重要じゃないかな?学問として、理想の男女関係や、夫婦関係について考えている身にとって、理想の男性像と現実の男性との間のギャップはあまりにも大きいのではないかと、考えます。。

そんな感じです。
ではまた
スポンサーサイト
2007'01.24.Wed
FUNFUN!ファン・・でなく、フン!です。
憤慨です。

今、YoutubeでEZTVでやっていた「秋葉原に異変、実録・美少女に集う若者たちのホンネ」というものを見た。見た人いますか??
内容は、まあいわゆる「おたく」と言われる若い男の子たちが空想の世界(空想の「女の子像」かな、詳しく言うと)にはまってそれを現実に見れる場所「アキバ」に集まっている、という実録なんだけど。進化するメイドカフェとかな。おもしろかった。でっかいカキ氷を15分以内に完食したら好きなメイドと写真撮れる、とか、500百円払えば好きなメイドと3分間ゲームできる、とか。あとメイドカフェ秋の大運動会と称して、いつもはメイド姿の女の子たちがブルマ姿になるとか。
一人の男の子に密着して、彼のおたく仲間との交流を追うんやけど、すごかったわ。喫茶店に4人でいて、全員ノートパソコンを開いてチャットしてるので会話とかあまりなくて。そのあとカラオケに行くんだけど、ボイスチェンジャーで女の子の声に変えてアニメの歌ばかり歌うっていう・・その間にも室内での会話は全部チャットで・・。机の上に8台くらいのノートパソコンが並んでる風景はまさに見たことのない世界。
若者の、恋愛、性、アイデンティティ、個々人の・社会とのつながり(ひつこいようだけど)、マイノリティ、コミュニケーション。。。こんなにも社会を考える視点は溢れている。

にもかかわらず!!!やってくれた奴らがいる。そう、キャスターとコメンテーター。EZTVのキャスターは森本〇郎。そしてコメンテーターは金融スペシャリストかなんかしらんけど松本〇という人。彼らのVTR見終えた後の会話には度肝を抜かれました。

まず森:あんまり気持ちがよくないね、(こういうのを目の当たりにするのは)。
と始まる。
松:アキバはあくまでも「商売」。活気のあるビジネスの街であることは良い。私はパソコンとか好きなんでアキバにはよく行くが、「おたく」ではない。(おたく・・と言いかけて、あっ!「。。というかそういうのが好きなわけではない」と言い直す)

「ビジネス」という視点でしか物事を図れない。だから問題は解決しない。いいかげん、「売れるから良いでしょ」という発想から離れて、その根底にある原因を解明しようよ。
そして「おたく」という言葉を差別語のように使う彼。そして自分はその場所には行くけれどそういう類ではない、と弁解。
自分は「普通」ということを必死になって証明しなければならないみたいです。


森:「おたく」は本来はうちにこもって自分の世界に入り込むもの。それがアキバに(外の世界に)出てきちゃった。

彼らはモンスターか何かですか。「出てきちゃった」って・・まるで出てきてはいけないような言い方。逆に言えば誰にも見られないところでそういうことをやっている分には問題ないと。だけど公の場でやることは問題だと?
それはおもいっきり「公私の別離」じゃないですか?

森:社会現象としてはどう捉えますか?
松:現象と言えるだけ大きなものなのかどうか・・。というのも、おたくビジネスの売り上げは全消費者購買の0.1%にも満たない。そういうことを考えると、色んなものがあってもおかしくない。多様な価値観は良い事だし、そう考えるとこの現象も自然なこと。
森:個人個人のことですから「好きにしたら」としか言えませんがね。

これを、コメントと呼べるか?!Poorすぎるぞ。
まず、出ましたーー金融系、数字での見解!!社会現象として扱われるには、一体何%の購買量が必要なんでしょうか?その前提を述べてから、そういうメジャーの仕方をしてもらいたいね。ほんっと醜いよね、このコメント。そして、マイノリティーだし、個人の自由だから、放っておいたらいい。それがこの2人に共通する社会の捉え方です。この考え、社会の(オトナの)何%に通ずるかな?
そして多文化主義に解決を見出そうをする。それは「容認」というコインの表と「マイノリティーの排除」というコインの裏である。


森:若者の後ろ向きな傾向は心配。(たぶんネガティブな社会性、虚構の中で生きたいという逃避傾向ということを言いたいんだと思うが・・)
松:そういうのは家庭でもっと社会(社会は自分の思うとおりにはいかないことや、その中での交渉など)について学ぶべきことですよね。

だとよ。はいはい、また「家庭」に押し付けるわけですか。そして議論は「女性が社会に出始めたから・・」と続くわけですか?
茶番だよねー。
家庭崩壊は、社会崩壊でしょうが。
そしてアンタらもその社会の一員なんじゃないの?


社会学者(ポップ社会学者?)の宮台真司が社会学者タルコット・パーソンズを引用して言ってました(これもYoutubeで。どっかのシンポジウムやな)。「家族の最小限の機能は、子どもの社会化と感情の安全にある」と。そしてその家族の「機能」を保守していくためには家族形態の「変形」は仕方がないと。
ヨーロッパは変化していく社会の中でこの「変形家族」を選んだ。家族機能を保守するために。
日本は?
「伝統家族」というもの自体幻想にすぎず、「典型家族」いわゆる家族機能を無視して家族形態だけを保守したいのか。それは一体、真の「保守」だろうか?と投げかけています。
ヨーロッパの家族機能が果たして機能しているかどうかは疑問ですが、でも社会がどういう路線を取るか、で大きく変わってくる。

日本の大きな問題は、排除性、とそれを取り巻くスティグマだね。
まずは自己と他者の区別。コメンテーターの二人に共通する、物事を「外側」からしか捉えられない傾向。自分のことではない、そんな考えが一体何を変えることができようか。
排除することでしか認められない。それが「当たり前」または「マジョリティー」。そしてこういう価値観のコメンテーターたちが「普通~~に」社会について発言し、それが茶の間に流れる事。この構造。
金もらってんだよ、この人たち。このコメントで。これも構造。
日本のオトナたちに言いたい。
現実から目をそむけているのはどっちですか?あんたたちも「逃避傾向」なんじゃないですか?

自己価値は何か、他己価値は何かって考えるよね。

みなさんはどうお考えですか?

・・書いたらチョット憤慨もおさまりました(笑)
2007'01.22.Mon
馳せ日。
久しぶりに想いを馳せましょうか。

バベル」を見たよ。好きな監督だし、期待が大きすぎただけに個人的にはチョット下降でした 日本ではまだ公開されてないのかな?あんまり詳しくは書きませんが、大まかに感想を述べると・・
きっと世界のいたる場所で人と人とは繋がっている、ということを全く違う文化の描写などを通して描きたかったんだろうと思うけど、なんとなく「繋がり」が弱い気がした。すごくステレオティピカルな文化の描き方もいまいちだったなあ。映画のストーリーには完全な人種構造・世界構造(白人至上主義)が表れていたし。というのも、主人公の白人は家族全員が最終的には助かりメデタシメデタシで、白人でない人らは理不尽にも命を落としたり、捕まったり、家族を亡くしたりする。まあすごくハリウッドだな、という感じなんやけど、結局、世界はそういうふうにまわっているんだな、と実感する。その上、映画の中の主人公はこの世界構造を考える事すらなく終わる。だから、見てる自分たちが考えるしかない。うちらに課せられるタスク。
チョット深読みすると、世界の「つながり」や「構造」に対する無知(ignorance)が、その構造を支える中心軸そのものだということだと思うな。

そんなこんなでさ、ブラピ老けすぎ!!ケイト・ブランシェットきれいすぎ!!ガエル・ガルシア・ベルナルかっこよすぎ!!(彼は私のお気に入りの俳優デス モーターサイクルダイアリーズをみてみて!!)
以外に、何を考えるかだと思います。考える要素がたくさん含まれている点ではすごくいい映画です。人種、それに基づいた世界構造、文化、発展、グローバライゼーション(ツーリズムの実態)、障害、そしてもちろん、ジェンダー、セクシュアリティ 特に、若い子のバージンに対するピア・プレッシャー(友達、仲間うちでの競争、とでもいうかな。)、それに障害をからめてくるところはずごくリアリスティックで興味深かったな いい視点だと思います。

最近メディアの研究をしていて思うことはさ、
メディアが何を発信しているか、よりも、受け手がそれをどのように吸収して消化するか、が大切になってきたと思うのよ。
テクノロジー、ネットワークの拡大で情報の発信者と受信者の境界がだんだんとぼやけてきた今、誰もが大切なメッセージを世界に送る事ができるし、逆に言えばしょうもない、もしくは有害なメッセージを送る事もできる。でも1つのメッセージに対して、千の反応があり、その反応がまたメッセージという形で共有される。そういうところに現代のメディアの有意義性はあるんだろうと信じている。

さらに語り続けると、(笑)
言ってしまえば、現代は資本主義・消費者社会・個人主義
この3つで世界のありとあらゆる現象が説明されることができてしまう社会である。悲しい事に。
そして研究者でさえも、それを「当たり前の社会基盤」として捉える人は多い。それが悲しい。そういう論文を読んだとき、なんとも言えない虚しさに包まれる。もちろん、これらは現代社会の重要なファクターであり「理由付け」であるけれども、それ以外にも大切なファクターがあると信じているから私は社会学から離れられないんだと思うな。これらのイデオロギーは全然基盤なんかじゃなく、ただ「基盤として(誰かの手によって)そこに置かれている」だけであって、転換していくことは大いに可能であるっちゅーこっちゃ。えらいスケールの大きい話をしていると思ったらそれは大間違い。個人個人の毎日の生活そのものが、世界構造・社会システムなんだよ。個々の意思、imaginationこそが、社会をこんなふうに動かしているんだよ。
でもimaginationを考える意義は、その「構造」を維持もできれば、破壊できる可能性もあるところにある。
自律しよう。自律した脳になろう。
それが私の送れる(現時点では最大の。笑)メッセージやな

こんな風に、最近映画一つとっても「純粋に楽しむ」ことができない・・これはほんとにシビアな問題です。息抜きも大切だとはわかってるんだけどな。
お堅く、ダサい、フェミニストにだんだん近づいていっているのかな?(笑)
笑っていられる間が花デスね
2007'01.09.Tue
2007ジャック。
あけましておめでとうございます
今年もみなさま、宜しくお願いします

エッセイがやっと終わったぞ~~~~~~ ほんままじ嬉しい(泣)
エッセイ終わったのに、今日から学校始まった・・っていうね。
休みがクリスマス以外、全然なかった・・

クリスマスは相変わらずだらだらテレビばっか見て過ごして、
新年は、テムズ川の観覧車London Eye 近くでカウントダウン&花火で迎えました。すっごい人だったけど、うちから歩いて5分くらいのところで見れるから、他の人ら何時間もかけてこれ見るために来たんかな~~と思いちょっと優越感でした 

年が明けてもう8日ですよ。
今はエッセイ明けで頭がまだぽか~~んとしてるので、何をしたらいいのかちょっとわからん。人間って、やらなあかんことがなくなると、普段何して過ごしてたっけ・・?ってなるね。

年明け早々、高校の友達が結婚する+赤ちゃんが生まれるというニュースが!!おめでたいですねでも長年会っていないので高校のときのイメージしかないその子が結婚なんて・・・とほんっまに信じれへんくって、普通にドッキリかと思ったよ なんか、昨年・一昨年くらいからポツポツとまわりが結婚していきますね。でも
え~~~~まじで!信じられへん!!もう?!
っていうリアクションから→
ほほ~~そうか。めでたいのう というリアクションに変わりつつある今日この頃。。。
仲の良い友達も、結婚とかほんとに本気で考え出してるみたいで・・けっこうビビリます
どうやら世間では、結婚はすごく大きな人生プランの一つのようです。結婚願望というものを生まれてこのかた経験したことがないMikoちゃんにとっては受け止めにくい現実であります・・。それもこれも「結婚」という名前があかん気がするな。聞いただけで3歩ぐらい引くもん
「新しい家族をつくっていく」みたいな響きを「結婚」の二文字にまったく見出せない。
しかもさ、結婚=幸せ。この崩れざる方程式があかんわ。
結婚しても幸せになる人もそりゃいれば、幸せにならへん人もたくさんいるもんね。逆に言えば結婚しなくても幸せな人もたくさんいるしね。なんか結婚したからには幸せにならなあかんで~~というプレッシャーだけが降りてくる感があるわ。そう考え出すと結婚が何なのかよくわからんくなってくるもんよ。「けじめ」とか「責任」とかを抜いたら結婚に何が残る?・・愛?!あーーー気持ち悪い やし、「結婚」をやっぱり「この人と家族をつくりたいという強い思い」とかに改名したらどうかな。笑
そうなったらおもろいのにな~~~。だってさア、
「アタシ、〇〇くんと結婚するねん!!」って友達に言われたらさ、えーーーまじで。ほんとにするの?ほんとにしちゃうの?大丈夫なんか?!相手の男はちゃんとしてるん?ちゃんと査定したん?という最低な不安感に襲われ・・基本的に友達の結婚話にネガティブなスタンスなんですが・・(フェミニストだからではないぞ!!!笑)
「アタシ、〇〇くんと家族を作りたいという強い思い」しようと思うねん!!!って言われてみイ。全然ひかへんやん。
おお~~~それはいいことだ~~~それほど2人の関係はいいんやな!頑張って家族つくっていけ~~!!GO!GO!って思うやん?
・・・なんか、友達に普通にしゃべってるミタイナ記事になってしまった 
しかもこれ、新年初の記事なのに・・笑

でも筆者はとても画期的な提案をしたっていう気分でいっぱいでけっこう満足げ

まあ、これが「こんなかんじで今年もいくわよ。あきらめずについてきてよね」という宣戦布告記事ですわ。


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。